【国内MBA】早稲田大学大学院商学研究科(夜間)/ 首都大学東京大学院社会科学研究科 (現:東京都立大学大学院経営学専攻)/ 男性

合格者の声

「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」 これはリクルート創業者の江副浩正の言葉で、私の好きな言葉のひとつである。
私の国内MBA受験は、まさにこの言葉を体現した期間であった。
2011年12月某日、第一志望であるWBS二次試験の合格発表を確認しに、電車を乗り継ぎ早稲田へ向かう道中、私はふと懐かしい気持ちに襲われた。
MBA受験を決めた夏からずっと、ウインドミル通学の為にこの電車で早稲田まで通っていたからだ。
冬の低い日差しが差し込む穏やかな車内で、私はこの半年のことを振り返っていた…。

― 第一章 飯野氏との出会い ―

震災の影響で至るところで節電がおこなわれ、まさにうだるような暑さの7月某日、私は早稲田駅からウインドミルまでの道を、汗を流しながら歩いていた。
ウインドミルの第2タームの説明会に参加する為だ。
そもそも私が国内MBA進学を決めたのも1、2週間前のことで、その際、何気なくネット検索で引っ掛かったのがウインドミルであった。
ホームページで不敵に笑う茶髪のパーマネントの男性が印象的だった。
だから、今日の説明会で彼に会えることは楽しみでもあったし、何か恐ろしくもあった。

会場につくと、10人程の受験生が座っていた。その前で一人立っている男性がいる、180センチ以上あろうかという長身、しかし細見からかそこまで威圧感がない。カーリーなロングヘアにパンクロックな服装、飯野氏だ。

彼は簡単な挨拶もほどほどに、いきなり強烈な言葉を投げかけてきた。
「はじめに言っておきます。年がいき過ぎている方は合格の望みが薄いです。したがってお辞めになったほうがいいかと思います。」「他にも三流大学、零細企業の方は受かりにくいです。」どれもこれも強烈な言葉だ。飯野氏は続ける「なぜかというと、これまでそういったデータが出ているからです。あとで話と違うじゃないかと言われるのも嫌なので、先に言っておきます。」
なんというストレートなものいいだろう。しかし自然と不快な気持にはならなかった。むしろ竹を割ったようなスカッとした話しぶりに、どんどん引き込まれていった。
また、飯野氏の発言から感じたのは、一番に受験生のことを考えているということだ。もし彼らがミスマッチで予備校に行って、授業料を支払ったのに合格できなかったとしたら…。それをまず考えているのである。ちなみに私は芸術系の大学を出ており、いわゆる無名大学出身組である。ただし飯野氏はその後の個別面談で、「大学名の部分で保証はできないですが、人物がいいので問題ないと思います。」とケロッと言ってみせた。
やはり冒頭の一発は、受験生の意思の強さを見るのにふるいをかけていたのだろう。その場で飯野氏についていくことを決め、翌日申し込みの紙を送付した。

― 第2章 ウインドミルの授業、そして仲間たち ―

経営学の素地が一切なかった私は、とにかく集中して授業に参加した。
毎回一番前の真ん中の席に座り、飯野氏の放つ一言一言を聞き漏らさないように食い入った。
余談だが、ウインドミルの授業は生徒参加型で進む。そういった意味でも質問を振ってもらいやすい前の席に座ることが鉄則なのである。
授業は非常に明快だった。飯野氏が様々な良書から引用した理論が詰め込まれているレジュメに沿って、生徒との軽快でテンポの早いやりとりが続く。時折、人生の意義や、起業家としての心構えなど、飯野氏の人生観を交えた鋭い示唆が挟まれた。私は授業で退屈したことは一度もなかった。それどころか、回を重ねるたびに経営学への理解が深まっていき、更に授業に参加することが楽しみになるという好循環になっていた。
毎回授業の前半で行う小論文のテストも、回を追うごとにまとまったものが書けるようになってくる。翌週の添削が楽しみになってくるのだ。
添削の内容は的確で、ストレートであった。良いものは良い、ダメなものはダメ、はっきりと指摘される。
私は途中で自分のライティングスキルが伸びてきたことに慢心してしまい、文章の論理展開が強引になっていった。
そんな時、決まって飯野氏からの添削は厳しく書かれており、また初心に戻らせてくれる礎となった。

顕著だったのが、私の受験前の最後の添削である。これまで取ったこともないC評価という最低評価をもらったのである。
そしてそこには「反省してください」とあった。これは生徒のキャラクターを見て書いていると思われるが、私はこれを受けて気がひきしまり、受験まで可能な限り準備を怠らないようにしようと対策できたのだった。

さて授業は10数人ほどの仲間と受けるのだが、皆それぞれ異なるバックボーンを持っており、それが授業で交わるのが非常に楽しかった。
生徒は既に経営層にいる者や、通信、金融、製薬、メーカー、広告代理店と様々な業界から集まっていた。
ただ皆に共通しているのは意識が高いということ。仕事をしながらMBAに通おうと考えているのだから、意識が高くないはずがないのだが、こういったメンバーは中々周りにはいないのが現実である。
そんなメンバーと切磋琢磨し半年ほどの時間を共有する中で、絆は非常に強くなる。
私は特にこういった出会いを大切にしたい性分であったから、フェースブックでコミュニティを作成し、予備校以外でもメンバー間で情報共有やモチベーションを高め合う場として活用した。
そうして、受験が終わるころには、MBA受験だけでなく一生付き合っていける仲間になっていたのだった。今日もウインドミルの仲間全員が受かっていますように、そして皆で進学できますように、そのように心から思えるようになっていた。

― 最終章 合格そしてこれから ―

「次は早稲田駅、早稲田駅です。」私を乗せた電車が早稲田に到着するころには、7月からはじまった私のMBA受験にまつわる経験は、あらかた振り返りが終わっていた。
そこからダッフルコートを羽織った早稲田の学部生に交じって、合格発表のある11号館を徒歩で目指した。今日は特に寒く、ポケットに手を突っ込み首をすくめて歩く。とぼとぼと門をくぐっていくと、そこにはそびえるように立つ大隈重信の銅像が建っている。
冬の抜けるような青空を背景にしているせいか、より凛とした面持ちである。
その銅像をわき目に11号館に向かっていた私だが、30メーター過ぎたあたりで思い返して、銅像の前に戻り、ポケットから手を出し両手を合わせ合格祈願する。周りを通る学生が物珍しそうな視線で見てきたが、お構いなしに力強く念じて、私はまた11号館目指して歩き始めた。
そうしてエスカレータを乗り継ぎ、ついに合格発表の掲示板まで到着する。大きく一息ついて見上げる。数字の羅列の中に見慣れた並びを探す。「36…」、、、「36009」!見覚えのある語呂だ。

あった!無事合格していた。私は周りに誰もいない事を悟ると5回ほど全力でガッツポーズをとり、喜びをかみしめながらぐるぐると周辺を10分程歩きまわった。
7月から半年ほど、寝ても覚めても勉強漬けだったから喜びはひとしおだった。そうして少したって落ち着いてから、私は腰をおろしてメールを打っていた。飯野氏への合格の報告だ。このメールを打ちながら私の心の中が、合格の喜びから入学後の目標にシフトしていっているのを感じた。そう、本日からMBA生活は始まっているのである。

― おまけ 最後に ―

これは私の国内MBA受験ストーリーである。ぜひ、あなたはあなたのストーリーを紡いでほしい。そのうえで、ウインドミルには確かにあなたのストーリーを輝かせてくれる環境がある。そうと決めたら迷わず突き進んでほしい。もう一度繰り返す。

「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」

国内MBA入試講座TOP